院長の「JoJoブログ」

本屋

2016-01-17 19:58:51投稿

年末に、北野武の「新しい道徳」という本を読んだことは、ブログに書いた。
今日、よくいく本屋とは別の本屋に立ち寄ってみると、「新しい道徳」は、相変わらず平積みされており、ここでも売れているようだった。
この、”平積み”というのは、売れている、または本屋が売りたい本、売れそうだ考えている本のみに与えられた特権。
そして、私はと言えば、(私だけじゃないとは思うけど)、この平積みされた本たちを結構買ってしまう。
もともと、本屋に入るとき、こんな本が読みたいという目的をもっていることは、ほとんどなく、ちょっと時間があるから寄ってみるというのが私の本屋との付き合い方。
実際、本屋に入ると、雑誌コーナーには行くことはなく、まず、平積みのものを眺め、時間があれば、新書版コーナー、文庫本コーナーをのぞくというのが、いつもの行動パターン。
フィクションである小説、特に短編集は、よほど話題性がない限り、平積みものでも、あまり手がでないけれど、ノンフィクション、ハウツーもの、エッセイなどは、ぱらぱらと眺めては、ちょっと読んでみようかなという気になってしまう、本屋にとってはありがたい客だ。
買ったからには、読まないといけないが、自宅のベッドサイドには、そのうち読もうと思っておいてある本がいつも数冊はある。まだ、読んでいない本があるにもかかわらず、本屋に入って、手ぶらで店を出ることのない癖は、本の置き場がなくなるということ以外は、あまり迷惑をかけるものでもないので、治る見込みはない。時々、今は読んでいない本がたくさんあるから、本屋に入ってはならぬ!と本屋を見かけたときに自制する必要があるときがあるけれど、いったん入ってしまうと、必ず2冊以上は買ってしまう。出張などで、一人で県外に出かけるときは、行きは新幹線(または飛行機)の中でこれを読もうと1冊は手荷物に入れるが、帰りには、大抵、駅(または空港)で待ち時間があるので、数冊の本を購入してしまい、行きよりも帰りの方が、たくさん本を持っているのが常だ。

今現在、読みかけの本としては、文庫版で最近出た、村上春樹の「雑文集」
村上春樹の小説は、複雑な表現のため、とても読むのに疲れるので、あまり読まないことにしているけれど、ランニングを趣味としているということ、毎年ノーベル文学賞候補に上がっては選ばれないことなど、ちょっと、魅かれてしまうところもある作家。「雑文集」なら、読みやすいかなと思って、買ってはみたものの、やっぱり文章が込み入っているところが多く、気合をいれて集中しないと、何が書いてあるのかわからない箇所が多数あり、読むのに時間がかかっている。ま、そのうち読み切るつもりだけれど、村上春樹が終わるまでに、気軽に読める他の本に手がでてしまうのは、私にとっては当然というか仕方のないこと。
そして、1ページも読まれずに枕もとに鎮座ましている昨年の超ベストセラー「火花」
あんなに手に入りにくかった流行の真っただ中で、義務感で買った本は、なんと、成人限定でもないのに、ビニールで覆われている。買ったことに満足して、ビニールを取り除くのが面倒臭いという理由で、何か月も放置されている気の毒な又吉さん。単行本としては、とても薄いので、きっと読み始めたら、すぐ読み終えられるだろうから、いつでもいいか・・・と思っているうち、かなり時間がたってしまった。そのうち文庫版がでるだろうから、その前には読まなきゃな。

それなのに、今日もまた、2冊買ってしまった。
本棚がいよいよ過密状態になってきている。