院長の「JoJoブログ」

母校

2016-09-01 17:32:17投稿

今日から9月。 
新学期も始まり、心を新たにして、ブログを再開したいと思う。

今年の夏は、西日本はホントーに暑くて、暑いよりは熱いと書いた方がいいくらいだった。
暑さは言い訳にはならないけれど、精神的に文章を書く気になれない日が続いていた。

先週末、私用で、広島に出かけた。
用事のあった場所が、小学生の時からよく行っていた教会のそばだったので、懐かしくなり、ついでに訪ねてみた。
原爆の犠牲者を追悼する目的で昭和29年に建てられた広島幟町教会。
建物の中も外も、30年前と変わらなかった。
大きなパイプオルガン、両側に並んだステンドグラス・・・すべて昔のまま。
礼拝者のための木の長椅子に腰を下ろし、目を閉じると、パイプオルガンの音が聞こえてくるようだった。
30年ぶりに訪ねた場所がそのままであることのうれしさ、懐かしさ。
 
教会からは数キロ離れているけれど、せっかくのチャンスだから、3歳から10年間過ごしていた街も訪ねることにした。

広島市中心部の南にある比治山という小さな山。その小さな山のおかげで、原爆で焼けなかった段原地区。そこが、私のふるさと。
焼野原にならなかったおかげで、私が生活していたころは、戦前の建物も多く残っており、細い狭い道が入り組んでいた。その広島の下町は、当時から再開発の予定地とされ、我が家が郊外に越した後も、着々と工事がすすんでいることは聞いていた。親戚も近所にあり、立ち退きをいわれて、どんどん引っ越していたのも知っているし、ついに、あの比治山の真ん中を通り抜けるトンネルが開通し、平和大通りまでアッという間に行けるようになったことも、ずいぶん前にはきいていた。
けれど、平成の時代になってから、自分の目でみたことはなく、訪ねたことがなかった。

遠い記憶をたどりつつ、車を走らせながら、段原地区に向かう。たしか、川沿いの道を下っていけば、小学校の前の道に出るはずと、川の土手を走っても、見覚えのあるものはない。多分、このあたりだと、道をまがってみても、道路も建物もすべて新しく、記憶がよみがえらない。とにかく、車をどこかに停めて、歩いてみよう。

小さな有料駐車場に車をとめて、一人とぼとぼと歩く。
住んでいた家は20年前に取り壊されたので、家を見ることはできないとしても、何か見覚えのあるものがないだろうかと、うろうろする。
どの家も、店も、20年以上たっているようには見えず真新しい。
「学校は変わらないはずだ」
とにかく小学校を見つけよう。そうすれば、道も思い出せるし・・・
”比治山小学校前”という交差点をみつけ、ついに、小学校にたどりついた。
そこにあった、広島市立比治山小学校は、まさしく、私が卒業したときのままの小学校だった。
ほぼそのまわり360度、新しい建物で囲まれている中に、30年以上まえと同じ姿で建っていた。
涙があふれた。
歌詞を全く忘れていない校歌が自然と口から出た。

あのころの自分を思い出して、また今日からがんばらないと。