院長の「JoJoブログ」

野村忠宏さん

2018-04-06 13:25:14投稿

昨日、宇部市で行われた山口県スポーツ医科学研究会に参加した。
参加したのは、一応、スポーツドクターの認定を持っているのでというのが理由の一つ。もう一つは、あの野村忠宏さんがパネリストとして迎えられているので、本物を見に行きましょうという、ミーハー精神のため。

野村さんと言えば、アトランタ、シドニー、アテネと3大会連続のオリンピック金メダリストとして、あまりにも有名。最近では、お昼のワイドショー、”ひるおび”にコメンテーターとして出演されているけれど、出演日が木曜日で、クリニックの休診日に当たるので、ちょくちょくテレビで見ていた私。
実際、柔道選手としては、世界一をとった人なので、文句のつけようがないけれど、政治や社会問題も取り上げる番組のコメンテーターとしては、どうなのかな?とテレビを見て思っていた。ただ、大学院で、スポーツ心理学を学び、医学博士号までとられている勉強家ということを知り、少し、見る目が変わったのも事実。今回、どんな話が聞けるのかと、楽しみにしていた。

今回のお題は、スポーツにおけるメンタルの問題。実際には、野村さんの柔道人生における数年おきの転機の中で、どのような気持ちだったのか、どのように自分をコントロールしていったのかというお話を聞くという感じだった。
 もともと小柄で、高校生のときは40㎏台だった彼は、高校までは無名の選手。その後大学に入って、開花し、21歳でいきなりオリンピックチャンピオンという、どちらかとういうと異色の経歴。柔道一家に生まれ、のちに天才と言われることが多かったけれど、実際にはまったくそんなことはなく、どこにいっても「ちっちゃい」といわれ、親にも「柔道やめてもいい」と期待されていなかった10代のころがあったからこそ努力できたのだという事だった。4連覇のかかった北京オリンピックを目指していたときに、大けがをし、結局その後国際大会で活躍できないまま、10年間も現役であり続けた理由など、そのとき、そのとき感じていたこと、考え方をかえていったことを語ってくださった。

正直にいうと、怪我と闘い、膝はボロボロで、医者としては、ありえないと思う状態で、現役を続けたその本当の気持ちというのは、私には理解できなかった。
3度もオリンピックで国旗を掲げた人なんて、世界中でも数えるほどしかいないわけで、そんな、特別な人の気持ちを、凡人が理解しようと思っても無理なのかもしれないなというのが、今回の感想。やっぱり、世界一というのは、普通じゃない人にしかなしえないことだということはよくわかったかな・・・