院長の「JoJoブログ」

萩往還マラニック大会

2018-05-05 23:18:04投稿

 ゴールデンウイークの真っただ中、第30回を迎える記念大会かつ最後となる萩往還マラニック大会に参加した。私が、この大会のことを知ったのは、7年くらい前で、萩と山口を結ぶ幕末の歴史をたどる萩往還道を中心としたコースを走る大会だということを噂に聞いた。マラソンとピクニックをかけたいかにも楽しく長距離を走りましょうというマラニックというネーミングだけれど、実態は、250㎞を48時間以内、140㎞を24時間以内、70㎞を12時間以内に走るという、過酷という言葉ではいいあらわせない、スーパーウルトラマラソン大会。しかも、コースの半分は、山の中のトレイルで、石畳も多く、まさしく、野を超え山越えのハードコースで平坦なアスファルトを走る単なるウルトラマラソンとはわけが違う。

ノーマルな人々の反応としては、3日3晩、寝ずに山の中を走り続けると聞けば、「はぁ?何のためにそんなことを?」というものだろう。私も、人間のやることではないと今も思っている。ただ、その過酷な大会に、何人も知った人がチャレンジしており、ちょっぴり応援するために、140㎞コースの人たちが自宅近くを通るので、私設エイドを何度か出してきた。
全く、自分で参加するつもりなんて、なかったけれど”35㎞歩け歩けの部”なら、それほど無理ではなさそうだし、最後の開催だということで、今回はエントリーしてしまった。

歩け歩けの部は、昨年までは山口⇒萩の片道コースだったけれど、今年は最後ということで、初めに萩までバスで送ってもらい、全種目共通の最終部分、萩⇒山口のコースでゴールに向かうことになった。他の部門と違って、タイム計測もしないし、実際には、途中のお弁当をもらうためのゼッケンをつけているだけで、普通に歩いていれば、たどりつける。普通とは言っても、山道が半分以上で、距離もあるので、普段運動をしていない人には、ちと厳しいかもしれないけど・・・

 大体の予定としては、1時間に5kmすすむとして7時間。昼食タイムや休憩をいれると、8~9時間ではゴールできるだろうという計算。制限時間までは、11時間あるので、時間的には余裕。これまでにも、何度かランニング大会やトレラン練習で走ったことのある道なので、楽しく、ゆっくりと進むことができた。
途中、前の前の晩から走り続けている250㎞コースの選手に出会うたび、この人すでに220㎞走っているんだなあと全国津々浦々から参加(ゼッケンに都道府県が書いてある)している物好きというか変人というかに、「頑張って下さい」と声をかけながら歩くのも、楽しみ。そして、140㎞や70㎞の部門にも10人以上知り合いが参加しているので、出会えば励まし、〇〇さん、まだ会わないなぁ、大丈夫かなぁと思いをはせながら歩いていった。
20㎞地点の佐々並で、お弁当をいただいたころから、両足の小指の痛みが出始め、靴下をぬいでみると、ばっちりマメができていた。とりあえず、リュックにいれておいた絆創膏をはって、何とか対処。ランニングではいつも5本指のソックスをはいていて、小指にマメなどできたことなかったのに、今回は、トレッキング用の二股ソックスだったので、これがいけなかった。やっぱり長距離は5本指ソックスに限ることを実感。
最後の6kmは、萩往還道最高地点の板堂峠を越えて、ひたすら下り。上りもつらいけど、脚が疲れてからは、明らかに下りの方がきつい。特に足の爪がシューズにあたって痛いのは、いつも経験することで、周囲からも、「上りほうがまだまし」という声が聞こえてきた。
山道を下って、天花畑まででると、あとはアスファルトの一般道。ゆるい下りのラスト3㎞は、たまたまみかけたランニング仲間のツワモノ女子に声をかけ、彼女の5回目の250㎞の完踏におつきあいし、二人で一緒に歩いた。歩いている間、いろいろ話をきいていると、もう60時間寝ていないとか、手がむくんでにぎれないとか、物を落としても、かがんでとれないとか、どれだけ体に悪いことをしているんだろうと本人も自覚しているようだった。前の晩は、突然の雷雨と突風の中、身体が冷え切って震えながら夜通し走りつづけていたとのこと。それだけつらい思いをして、なぜ?
う~ん、これは、凡人には理解できない限界への挑戦というヤツなのか・・・

人間と思えない彼女は、250㎞を46時間で、凡人である私は、35㎞を9時間で歩き切り、ゴール。ちょっと疲れたけれど、天気も良かったし、春の萩往還道を満喫でき、いい運動、いいゴールデンウイークになった。もう、来年の大会はないので、心の引き出しにこっそり入れて、小さな思い出としてとっておこう。