院長の「JoJoブログ」

脱コル

2020-12-10 18:37:58投稿

先日、NHKのニュースの中で、「脱コル」について放送していた。
初めて聞く言葉だったので、興味を持ち、少し検索してみると、韓国の若い女性たがSNSで発信したのがきっかけのようだ。脱コルのコルは、コルセットのことで、コルセットは、女性を縛り付けているものを指すようだ。その、縛り付けているものとは、おおざっぱにいって、いわゆる”女性だから”とか”女らしさ”とか、男性には求められないのに女性だけに求められてしまうもののことだ。主に、メイク、脱毛、ハイヒールなどといった身だしなみというか、見た目というか外見的なものをが始まりだったようだけど、脱コルの広がりとともに、女性の社会的立場などに対しても使われてきてるらしい。
ニュースに登場していた女性は、以前はばっちりメイクにピンヒールといったいでたちだったけれど、脱コル後は一切の化粧をやめ、髪も自分で切るようになって、縛り付けられていたものから解放され、自分らしく生きるようになったと言っていた。
何年か前に医師会女医部会の講演で、そもそも女医という言葉からして、女性医師は特別という話を聞いてから、自分自身、女らしさというものは何かということを考えるようになった。「女医」はあるけど、「男医」はない。「女史」はあるけど、「男史」はない。最近でも「女子力」は聞くけれど、「男子力」は聞いたことない。看護婦、保母などと言った女性のみの職業と考えられていたものは、今は看護師、保育士となって、男性も増えているけど、日本の女性の社会的立場の低さが、先進国の中でもダントツなのは、戦後75年たってもかわらない。
国会議員など政治にかかわる仕事をしている女性が男性の1割にも満たないレベルで政治が行われている以上、男性社会から抜け出せないのは当然。例えば「イクメン」という新語が登場したのも、平成になってからだけど、そもそも「イクメン」がちやほやされるのは、育児は母親の仕事なのに、父親が頑張っているということからきている日本特有の事情なので、ヨーロッパなどでは、考えられない用語ではないかなと思う。育児なんて親としての義務であり、母親も父親もないはずなのに・・・

令和の世になって、脱コルといった、若い女性たちの運動がきっかけで、”女性らしさ”よりも、”自分らしさ”を考えるようになってきたというのは、昭和の時代とは少しずつ変わってきていると思う。メイクをするのは、彼氏のためではなく自分のためと思えればすればいい。人からどう見られるかよりも、自分がどうありたいか、自分らしく生きることが大事なのだと、訴える彼女たち。
”女医”として婦人科疾患に携わり、女性患者さんだけを診ている自分のことを、脱コルに思いをはせて、もう一度考え直さないといけないなと思う。