院長の「JoJoブログ」

狐狸庵先生

2023-04-03 09:11:57投稿

以前、このブログにも書いたが、高校時代までの私は、読書が趣味と言えば趣味で、小学生のときからとても偏った読書をしていた。とにかく、一人の作家、一つのシリーズを読みつくさないと気が済まない感じだったため、読書そのものが趣味とはいえないのかもしれない。小学時代は、よくある推理小説に没頭し、コナンドイルや、アガサクリスティーなどをよく読んでいた。中でも、アルセーヌルパンは大好きで、小学校の図書室のすべてを読みつくしたと思う。中学になると、子供向けの本はやめて、横溝正史とか森村誠一など、怪しげなシーンにドキドキし、高校生のころは、北杜夫、遠藤周作というその時代を代表する二人の作品はほぼ全部読んでいた。両作家に共通するのは、純文学とおとぼけエッセイの2タイプの作品を書いておられたことで、北さんは、どくとるマンボウ、遠藤さんは、狐狸庵先生と別名をなのってケラケラ笑える文章を出していたことが、高校生の私にとっては、とても魅力的だった。
当時の小遣いで買っていた、二人の作家の作品は、今でも私の本だなの奥に何冊も眠っている。なんせ、買ったのは昭和の時代なので、文字通り眠っており、引っ越すたびに、捨てずにはいるものの、少なくとも20年以内に読み返したことはない。中には初版本もあるので、もしかすると、古本屋で高く売れる可能性もあるけれど、とりあえず、手放すのは自分の若き日の思い出を捨ててしまう感じなので、当分はまだもっておくつもり。
高校を卒業してからというもの、二人の作品からは、完全に遠ざかっていて、お二人ともすでに亡くなられて10年以上がたっており、特別、また読んでみようという気になることもなかった。ところが、ここ数年、電子書籍を読むようになってから、Amazonのおすすめ本を何となくみていると、色んな懐かしい作家の本を目にすることがあるようになった。そんな中、先月、たまたま遠藤周作の文字が目に入った。口コミ情報が面白そうだったので「読んでもためにならないエッセイ 周作塾」というのをクリック。少なくともこの本は、私の高校時代よりは後、バブルのころにかかれたものなので、私にとっては、新鮮なはず。そう思いながら、久しぶりに狐狸庵先生の色んな考えにふれてみると、カトリック教徒らしい人生観など、自分が高校生の時に読んでいたときのエッセイを思い出して、懐かしい感じもあるけれど、いかにも昭和の考えだよなと思わされる、時代錯誤でげんなりする部分もあった。もちろん、自分自身が年をとり、高校時代の自分と今の自分が全く違うことが一番の理由だと思うけれど、何となく、高校時代の良い思い出は、そのまま、美化された形でとっておきたかったなぁというのが正直なところ。
小学校のクラスメートの好きだった男の子が、自分の中ではずっと小学生のままでいるのと同じなんだろうなと思うけど、ま、現実は現実。
また、狐狸庵先生のエッセイを読むときがあるかどうかわかんないけれど、「沈黙」など、純文学のほうは後世に語り継がれる偉大な作品なので、いつかまた眠っている本棚から出して読まなきゃなと思っている。